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写真家として

 僕が写真家という職業を選んだ理由は、多くの著名な諸先輩たちがそうであったように、未知なる地球を自分の足で歩いて、確かめてみたいというごくシンプルな理由からでした。
 でも,そのような「旅」を目的とする写真家にとって、今はとても生きにくい時代でもあります。機械文明がもたらす通信や交通の発達によって地球上にもはや未知なる辺境の地=フロンティアは残されていないし、グローバリゼーションの波によって世界中の民族文化は急速に洗われようとしています。いっぽう、紛争や天災による被害はますます深刻化していて、毎日のように現地の悲惨な状況が報道され、同時にそうした地域の教育や政治における近代化が国際協力の普遍的なあり方として広がりを見せ始めています。友人からも「戦場や災害地は歩かないの?」としばしば聞かれたりもします。写真家の仕事として、今、地球上で起こっている悲惨なできごとを伝えることはとても大切なことだと思っています。でも、僕自身は人間の憎しみや悲しみばかりに目を向けるのではなく、「旅」を主題としながら美しく、理想的なことへの感動を素直に写真で伝える仕事をしていきたいと考えています。例えば、自分が日本人であるということ、例えば、向き合う相手が中国で生まれた同じ人であるということ、また中国のそのまた一部の地域に暮らす人々が、米を食べたり、草木で布を染めたり、木の文化をこよなく愛するということにどうしようもなく興味を感じてしまいます。大自然に寄り添う暮らしのなかで長い年月をかけて育まれた文化のなかにこそ、絶やしてはならない大切な知恵や個性を発見するのです。しかし、実際にはそうした伝統文化を色濃く残す地域ほど経済発展から孤立した貧困地域に指定されていて、一方では急速な近代化が求められているケースも多いのです。

ところが、そのような暮らしに深く踏み込めば、踏みこむほど、自分自身のあり方について考えさせられるとともに、「僕たちの国が今、世界中で推し進めようとしている近代化とは果たして何だろう?貧困とはいったい何を指してそう呼ぶのだろうか?」といった問いに胸を締め付けられそうになります。殺し合いも、自殺もなく、家族みんなが助け合って働き、男女が山に登って恋歌を交し合い、夜は小さな焚き火に寄り添って暮らしているような小さな村の生活風景は、たとえ電気や車がなくとも平和で、幸せな、完結した小世界であると感じます。
 僕が20〜30代の旅を通して学んだことは、自分自身をもっとよく知ることで、写真にもより深い世界を表現できる、というひとつの可能性でした。人は誰しも、自己の存在をはるかに超越した時間によって培われていると言えます。そんな時間の流れに気づかせてくれるのが旅であり、その気づきを糸口にしてさらに自己を掘り下げてみる。そうすると、やがて、どこに行っても、あるいは日常のなかですら、風景や、人の暮しの見え方がこれまでとはすっかり違ってきます。そのようにして長年写真を撮り続けていると、ひょっとすると、この「世界」とは、自分自身を映し出す鏡なのかもしれない、と思える瞬間が時々あったりするものです。
 僕が生まれ育ったのは、千年の歴史に彩られた京都の地でありますが、京都もまた日本のなかでは無差別的な近代化の波からまぬがれた古きよき街です。お寺の境内を散策したり、大文字山の山頂に登って街を見渡せば、改めて自分の生まれ育った街の素晴らしさに新鮮な感動を覚えます。美しい故郷の風景をしっかりと心に刻みながら、異国との往復をこれからも続けていければよいと思っています。